著名人の両親や祖先を調査して、その足取りを紹介するNHKのドキュメンタリー番組「ファミリーヒストリー」。
人間なら誰でも自分を生んだ両親がいて、両親にもそれぞれ両親がいて……脈々と受け継がれてきた人間の営みに貴賤はありませんが、記録があるのとないのとでは、やはり実感も愛着も違うものです。
そこで興味を持つ?のが家系図ですが、どうやって作ったら(祖先について調べたら)いいか分からない方がほとんどだと思います。
筆者もそんな一人として、我が家の家系図を作ってみたので、皆さんのご参考になればと紹介させて頂きます。
目次
家系図作成って何をするの?何が必要?
まず、家系図作成の目安になるよう調査活動の全容をリストアップします。
- 家族・親族からの聞き取り
- 戸籍の請求
- お墓参り
- 菩提寺の過去帳
- 郷土史料
- 出張調査
- 番外編:一族の伝承
必ずしもこの順番ではなく、調査の途中で番号を行ったり来たり、あるいは同時進行が可能な事も(又あるいは残念ながら協力が得られない事も)あるので、なるべく効率的な調査で限りある時間を有効活用したいものです。
(※特に、家族を含む他者に協力を求める調査は、極力お手間をとらせない配慮が必要です)
各項目について、どれがどのくらい進んでいるかをなるべくこまめに記録しておくと、先が見えにくい家系図作成調査の中でも、自分の頑張りや成果が感じられるのでおすすめです。
あと、家系図作成・調査に必要なものについてもリストアップしておきましょう。
- 現金(戸籍謄本の請求に、数千円~程度。交通費や謝礼等は別)
- 筆記用具(記録はこまめに。横着して記憶に頼ると絶対に後悔します)
- カメラ(デジカメが便利、スマホやケータイでも十分)
- ボイスレコーダー(あると聞き取り調査に便利ですが、なくても可)
- 拓本セット(場合によって使いますが、ピンと来ない方は不要)
※1~3は必須、4~5はあれば(使いこなせれば)と言った感じです。
これにプラスアルファで「自己紹介&調査成果(現時点での家系図)」をA4一枚程度にまとめておくと、調査協力を依頼する際に「身元調査のような怪しい目的ではなく、きちんと家系図を作成し、自分の祖先を大切にしたい人なのだな」などと、理解を得やすいかと思います(今どき、ちょっと変わった人には違いありませんが……苦笑)。
※家系図は調査の進捗によって随時更新されるので、いちいち全員のデータを載せるのではなく、略系図でもいいでしょう。
その他、調査を進めていく内に新たな発見や創意工夫のアイディア、ニーズも出てくるでしょうが、まずは始めてみることが肝要……それでは早速やってみましょう。
1、 家族・親族からの聞き取り
とりあえず、あなた自身が知っている限りの家系図を紙に書いてみましょう(ExcelなどPCでも可)。祖父母や伯父さん叔母さんくらいまでなら、多くの方が記憶にあるかと思いますが、例えば筆者の場合、こんな感じ【図1】です。
これを元に、両親や祖父母など、親族(なるべく自分より上の世代)に聞き取りをして、家系図を補足してもらいます。「実はおじいちゃんには、お兄さんが2人いてね……」など、自分が知らなかった情報を教えてくれることもあるでしょう。
ちなみに、結婚している方はパートナーの家系図も作りたいところですが、婿・嫁の立場で姻族についてあれこれと調べ回るのは、ちょっと警戒されてしまうかも知れないため、よほど親しくない限りやめておいた方が無難だと思います。
2、 戸籍の請求
さて、身内から聞き出せる限りの情報を引き出せたら、次に戸籍謄本の請求です。自分が戸籍を届け出ている(大抵はお住まいの)自治体で「戸籍謄本を下さい」と申し出て、所定の手数料を支払えばいいのですが、この時に注意が必要です。
家系図調査に役立つ(ここで請求する)戸籍関係書類には、ざっくり以下の3種類が存在します。
- 現戸籍(げんこせき)
- 改製原戸籍(かいせいげんこせき)
- 除籍(じょせき)
1.現戸籍
文字通り「現在使われている戸籍」で、普通に戸籍謄本を請求すると、これが出て来ますが、現在生きている人間だけが記録されているため、家系図作成にはちょっと力不足です。
それでも、これが自分と祖先のつながりを示す確証(すべてのスタート)となるため、この機会に確保しておきましょう。
2.改製原戸籍
戸籍は法律の改正等によってバージョンアップ(改製)されるのですが、その旧バージョンがこちら。
新バージョンの現戸籍には、改製前に亡くなった方の記録は引き継がれないため、こちらの戸籍が家系図作成には重要となります。
ちなみに、現戸籍と呼び方が紛らわしいため、役所の方は「はらこせき」と呼ぶことがあります。
戸籍謄本を請求する際、申請理由を「家系図作成のため」とすると、気の利いた方だと「はらこせき」も必要か訊いてくれるので、次に紹介する除籍ともども請求しましょう。
3.除籍
言わば「戸籍の抜け殻」です。結婚や死亡等によって戸籍から一人また一人と離脱し、その戸籍から全員がいなくなった状態を記録しています。
保存期間は150年で、それが過ぎると保存義務がなくなり、廃棄されてしまうこともある(※筆者の祖先も一部廃棄されてしまった)ため、後悔しないよう早めに請求しておきましょう。
戸籍を請求する際は、改製原戸籍や除籍が何部存在するか分からないので、役所の方に「家系図を作りたいので、遡れる限りすべての資料を下さい」と伝えることで、請求漏れを防げるでしょう。
最古の戸籍が手に入ったら、その方がどこから移住して来たのかを確認してその先でも遡れる限りの戸籍を請求。遠方になる場合は電話で郵送をお願いするといいでしょう。具体的な方法については役所によって異なるため、直接お問い合わせ願います。
さて、取り寄せられる限りの戸籍書類が揃ったら、最初に作った家系図をどんどん補完していきます。
家族の記憶になかった親族の名前が次々に登場し、けっこう複雑な家系図となると思いますが、自分で理解(できれば他人に説明)できるように整理しながら作業を進めましょう。
ちなみに、筆者の場合は戸籍だけで5世代祖先(高祖父の父。江戸末期の嘉永六1854年生まれ)まで遡ることが出来ました【図2】。
※ここでは父方の直系祖先のみ記載。
ちなみに、現行の戸籍制度が整備されたのは明治時代で、それ以前は寺院(宗門人別改帳など)で住民の調査・管理が行われていたため、現代では保存状態(資料の在否)が不安定です。
なので、きちんと国家が管理している戸籍の形で、明治から江戸時代への「橋渡し」が行われていると、その後の調査が楽になります。
3、お墓参り
戸籍の整理まで出来たら、戸籍で遡れる限り最古の祖先が葬られているお墓参りに行きたいところです。
どこにあるかは人によって異なり、所在を知っている親族が生きているかによって異なりますが、親族の誰も判らないという場合は、自分たちのお墓を管理してくれている菩提寺に問い合わせると、祖先がどこから移って来たか記録が残されている可能性もあります(筆者の場合は、幸いにして知っている親族がいたため、すぐに教えてもらえました)。
さて、祖先のお墓にやって来たら、せっかくなので、ご無沙汰しているご先祖様への挨拶を兼ねて墓地を掃除しながら、墓石や墓銘碑などを丹念に調査しましょう。
じっくり見ると、単なる石だと思っていた墓石に、色んな情報が刻まれているのが判るので、それらを片っ端から記録して行きましょう(もちろん、記録は墓石ごとにまとめ、ごっちゃにならないよう注意します)。
中には墓石が風化しかけて判読が難しいものがあるかも知れませんが、それでも指で丁寧になぞったり、時間帯によって日光の当たり具合で影が浮かび上がったりすると読めることもありますから、根気よく観察・調査することが肝心です。
それでもやっぱり判読できない!という時には秘密兵器「拓本セット」が登場しますが、専用の道具とコツが要るため、別に無理はしなくて構いません。
補足ながら、調査の後にはきちんとご先祖様に感謝の気持ちを伝えることはもちろん、日頃その墓地を管理してくれている親族にも挨拶(できれば事前に連絡)できると、よりいいでしょう。
そうして古い墓石を調査していくと、戸籍より前の世代に生きていたご先祖様の名前や没年などが判明して来ますが、互いの続柄まで刻まれている事は少ないため、没年などからの推測によって家系図に組み込めても、あくまで仮説の域を出ません……そこで挑戦したいのが、菩提寺への訪問です。
4、 菩提寺の過去帳
祖先の墓地を管理している菩提寺を訪問し、過去帳を閲覧させてもらいます……が、最近は個人情報保護のために閲覧させないところも多く、また家系図作成に協力する義務もないため、閲覧できる(させて貰える)かは運次第となります。
幸い、筆者の場合は主旨を説明したらご快諾下さり、じっくりと閲覧させて頂きましたが、中には「直接閲覧はさせないが、祖先と思しき方の情報を書き抜いて(まとめて)あげる」と言って下さる住職様もいらっしゃるそうです(その場合は、受け取って貰えるかはともかく謝礼を申し出るくらいの気持ちが欲しいところです)。
でも、多くの庶民が公に苗字を名乗っていなかった江戸時代以前の記録から、どうやって祖先の縁者だと判別するのか?……そこでカギとなるのが、庶民が苗字の代わりに使っていた「屋号」です。
戸籍や墓石などからなるべく詳細にデータを確認できたご先祖様をピックアップし、その俗名・戒名・没年月日(判れば享年)などを伝えます。
過去帳はたいてい時系列でまとめられているため、その方の亡くなった年を調べて、ぴったり合致する人物が出てくれば、その方の欄に屋号がほぼ確実に書いてあります(もし無ければ寺院の記録漏れなので、また別の方をピックアップし直します)。
例えば筆者の家では「洗沢(あらいさわ)」という屋号を用いていたことが判ったので、この「洗沢」と屋号の記載されている方は全員リストアップしていきます。
過去帳はほとんどが手書きのため崩し字も多く、判読が難しいですが、せっかくのご好意(と時間)を無駄にしないよう、必死に書き写していきましょう。読めない文字でも、その形を写しておくことで、後日判明する可能性が残せます。
また、データの整理は帰宅後にじっくりやりましょう。筆者の訪問した菩提寺は過去に何度か火災で焼失し、各檀家から過去帳データを収集し直していた事から時系列が一部乱れていたりもしましたが、そういうのも構わず写していきます。
幸い、筆者の閲覧させて頂いた過去帳は備考欄に「ナニガシ 倅(せがれ)」などと続柄が記載されている事が多かったため、これまでの調査データと照らし合わせることで補完し合い、江戸時代初期まで家系図をつなげる事が出来ました(その成果については最後に)。
5、 郷土史料
これまでは戸籍や墓石、過去帳などの私的なデータから調査を進めて来ましたが、ご先祖様が公的な活動をしていた場合、その軌跡が他者によって記録されている場合があります。
図書館の郷土資料コーナーなどにそういう文献が書籍・データ化されている事もあるので、丹念に探していくと、自分のご先祖様がその土地に息づいていた記述に出会えるかも知れません。
筆者の祖先については村の寄り合いに出席した記録が残っており、その当時に取り決められた事柄などから、彼らの暮らしぶり、活躍ぶりに思いを馳せることが出来ました。
また、ご先祖様が武士だった場合、どこかに仕官していれば「分限帳(ぶげんちょう。武士の給与台帳)」などの史料に名前が出て来ることもあり、そこから更に手繰って行ける可能性も出て来ます。
これらの史料には続柄が書いていない事がほとんどのため、家系図作成に直接の関係は薄いものの、名前の出てきたご先祖様が、コミュニティの中でどのように生きたかを偲ぶ縁(よすが)となり、無味乾燥なデータに、より一層の愛着をもたらしてくれるでしょう。
6、 出張調査
もしもご先祖様が遠くに住んでいた場合、墓参りや菩提寺の訪問、あるいは親族からの聞き取りにも出張が必要になる事もあります。
出張に際しては、限られた時間と資金を最大限に活かせるように十分な下調べを行い、なるべく具体的な行動計画(目的地へのアクセスや、相手先への質問事項など)を立てておくことが成功のカギとなるでしょう。
筆者の場合は先祖代々土着していたお陰か、幸い原付で行ける範囲にまとまっていましたが、せっかく遠方へ出かけるなら、ご当地の観光やレジャーと組み合わせると楽しみが増すかも知れません。
7、番外編:一族の伝承
ここまでは、自分を起点に時代を遡っていく調査を実施してきましたが、逆に祖先の見当をつけて、時代を下っていく(仮説を立てる)方法も紹介します。
「我が家は坂東平氏の末裔である(要約)」
祖父が生前よく言っていた角田家の伝承ですが、この仮説を元に、神奈川県の角田一族について調査してみました。
一、初めて角田を称したのは、平安末期~鎌倉初期の武士・相馬太郎胤親(そうまの たろうたねちか)。
一、苗字の由来は、胤親が治めた愛甲郡角田邑(現:神奈川県愛甲郡愛川町角田)。
一、彼ら相馬一族の家紋は、坂東平氏に多い九曜(くよう)紋で、我が家も同じ。
ちなみに我が家は「つのだ」ですが、この地名=苗字は「すみだ」であり、時代が下るにつれて訛ったか、あるいは一族が繁栄する中で呼び分けるために「つのだ」となったようです。
これだけをもって「我は坂東平氏の末裔、相馬太郎胤親が子孫なり」と称するのは根拠に乏しいですが、今後より調査を進めていけば、時代を下る角田一族と、遡る角田一族をつなげられるかも知れません。
もしこの仮説が立証できれば、平氏の祖である桓武天皇ひいては記紀神話の天照大神(あまてらすおおみかみ)から現代の筆者まで一直線につながる事になり、考えるだけで気分が高揚してきます。
※もっとも、日本人の約半分は皇室=天照大神の子孫(残り約半分は藤原氏=天児屋命の子孫)なので、別に珍しくもないのですが、はっきりその絆が判ると、また違うものです。
時代を遡る地道な作業の中、つい飽きてしまいそうになった時、こうしたロマンを掲げることでモチベーションが復活したり、仮説を手がかりに新たな発見・着眼点が得られたりする事もあるので、伝承と言っても意外とバカになりません。
エピローグ・俺たちの家系図調査はこれからだ!
……さて、こうして調査してきた結果、我が家の家系図はここまで作成できました【図3】。
※煩雑さを避けるため直系祖先のみ記載していますが、実際にはより緻密になっています。
筆者から遡って12代……宗專さん(※恐らく戒名。俗名は未詳)が亡くなったのは江戸時代初期の寛文1665年。仮に彼が「人間五十年」の満50歳で亡くなったとしたら、生まれたのは慶長二十1615年。豊臣家を滅ぼした徳川家康がまだ生きていた時代です。
戦国乱世の遺風を感じ、英雄たちの伝説に憧れながら成長したであろう青年と、350余年の歳月を越えてつながる事が出来たように思います。
また、各世代の生きていた時代に当地で何があったか(歴史的事件など)も併せて調べ、まとめて補記しておくと「この時、ご先祖様も参加していたのかな」など、より思いを馳せる縁(よすが)となるでしょう。
冒頭にも言ったとおり、誰でも祖先はいるものですが、名前を知ることによって(祖先がいるという)当然かつ無味乾燥な「事実(データ)」が、血の通った「ご先祖さま」に変わるものです。
決して楽ではなかった(であろう)時代を必死に生き抜いて次世代へ命を紡ぎ続け、現代の私たちにまで受け継いで下さった感謝が湧き起こって来るでしょう。
今回はひとまずここまでとしますが、今後、新発見によって更に時代を遡れることを楽しみに、これからもじっくり取り組んで行きたいと思います。
※参考文献:
丸山学『先祖を千年、遡る (幻冬舎新書)』2012年3月30日
丸山学『ご先祖様、ただいま捜索中! – あなたのルーツもたどれます (中公新書ラクレ)』2018年1月9日
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