海外

軽いジョークがキッカケで生まれたソジェー共和国。その歴代大統領を紹介【フランス】

世界には様々な国があり、そこには個性豊かな人々が暮らしていますが、中には強烈過ぎる個性が国境の枠を超えて、新たな国家を作り出してしまうことも間々あります。

今回はそんな一国・ソジェー共和国(La République du Saugeais)について興味を惹かれたので、調べた限りを紹介したいと思います。

ソジェー共和国の基本データ

ソジェー共和国の国旗

ソジェー共和国はフランス東部(スイスとの国境付近)に位置するドゥー県ポンタルリエ郡モンベノワ小郡に属する11のコミューン(日本で言う村)によって構成されるミクロネーション(ミニ国家)で、人口は4,000名ほど。

首都は小郡の名前になっているモンベノワですが、人口は400名程度で、より規模の大きなジレー(と言っても1,600名程度)を「経済的な首都」と位置づけており、アメリカで言えばワシントンD.C.とニューヨークのような関係でしょうか。

せっかくなので、他のコミューンも含めて一覧にしておきましょう(2つの首都を除き50音順)。

(1)モンベノワ(Montbenoît・政治的な首都)
(2)ジレー(Gilley・経済的な首都)
(3)アルソン(Arçon)
(4)オトゥリヴ・ラ・フレース(Hauterive-la-Fresse)
(5)ビュニ(Bugny)
(6)ヴィ―ユ・デュ・ポン(Ville-du-Pont)
(7)メゾン・デュ・ボワ・リュブレモン(Maisons-du-Bois-Lièvremont)
(8)モンフロヴァン(Montflovin)
(9)ラ・ショー・ドゥ・ジレー(La Chaux)
(10)ラ・ロンジュヴィーユ(La Longeville)
(11)レ・ザリエ(Les Alliés)

ソジェー共和国の地図(作成:Jgaffuri氏)

※余談ながら、フランス語の表記は同じアルファベットを使っていても、英語と読みが随分と違っていて、新鮮に感じます。また、時おり添えられている発音記号にも、ちょっとワクワクしてしまいます。

さて、データばかり並べていても何ですから、さっそくソジェー共和国のユニークな「建国」エピソードを紹介していきましょう。

初代大統領ジョルジュ・プーシェ(1947~1968年)

1947年、ドゥー県の知事が出張でモンベノワを訪れた時のこと。公務の合間にホテル・デ・アビー(Hôtel de l’Abbaye)でランチをとっていると、支配人のジョルジュ・プーシェ(Georges Pourchet)がやって来ました。

「ようこそ知事。当ホテルの食事はお口に合いましたでしょうか……それはそうと、知事は入国許可証をお持ちですか?

え……?モンベノワが属するドゥー県はれっきとしたフランス国領内であり、そんなものは要らない(と言うより存在しない)筈ですが……何のことかと知事が訊ねると、ジョルジュはドヤ顔で言います。

「おや、知事ともあろうお方がご存じないとは……ここはソジェー共和国なのですよ

ソジェーとはモンベノワ小郡とその中央を流れるドゥー川を包み込む谷間を示す地名……何のことはない、単なるジョークでしたが、知事も話が解る人だったようで、ノリよく小芝居を返します。

「おぉ、私としたことがかの有名なソジェー共和国へうっかり入国していたとは……するともしかして、あなたは大統領閣下ではありませんか?あの、世界的に有名な……」

「いかにも、私がソジェー共和国大統領ジョルジュ・プーシェです。改めて私たちの共和国へようこそ。本日あなたをお迎えできたことは、この上ない喜びです」

ソジェー共和国の国章。紋章の左上は賢者(ブノワ)の杖、左下は隠棲した雪山、右下は中央をドゥー川が流れるソジェーの地形。右上の由来は不詳(作成:Ssire氏)

いい歳の大人が二人して「ごっこ遊び」もいいところですが、ジョルジュはこのソジェー共和国についてかなり設定を作り込んでいたようで、当地の伝承を交えながら、じっくりと建国の歴史を語り聞かせたそうです。

……時は11世紀末、ブノワという名の賢者が、熊の棲む雪山へ隠遁したことにより、この一帯はモンベノワ(ブノワの山)と呼ばれるようになります。

12世紀になって、モンベノワの地はブザンソン(ドゥー県の県庁所在地)の大司教に寄付され、後に各地方から開拓民が移住してきて、個性豊かな11のコミューンを作り上げていったのでした……

第2代大統領ガブリエル・プーシェ(1968~1970年)

こんなノリでソジェー共和国の大統領に就任したジョルジュ・プーシェですが、別にフランス政府に不満がある訳でも、独立の野心を持っている訳でもなかったので、実体のない大統領の地位を持て余しながら、ホテルの支配人としてビジネスに勤しんでいたようです。

そして、大統領として21年の歳月を過ごした1968年、ジョルジュが天に召されると大統領の後継者問題が浮上します。

イメージ

「私、イヤよ!夫のジョークなのだから、彼が墓まで持って行くべきだわ!」

妻のガブリエル・プーシェ(Gabrielle Pourchet)は当初、大統領への就任に難色を示したものの、それを知った「国民」たちは、彼女に「どうかソジェー共和国を見捨てないように」と懇願します。

単なるジョークだって、20年以上も大真面目に続けていれば立派な既成事実。何だかんだ言って、みんなジョルジュのユーモア精神を愛し、心のどこかでこの大掛かりな「ごっこ遊び」を続けたかったのでしょう。

「やれやれ、仕方がないわね……ちょっとだけよ?」

ガブリエルはしぶしぶ大統領に就任。やはり何事もなく月日は流れ、1970年に「もういいでしょ?」と引退。かくしてソジェー共和国は統治者なき暗黒時代を迎えてしまうのでした。

ガブリエル、国民の声で終身大統領に復帰!(1972~2005年)

……と言っても、別に国民生活に何の支障がある訳でもなく、何となく「つまらないな」とみんなが思っていた矢先、ソジェー共和国に一大危機が訪れます。

モンベノワ教区において修道院が資金難に陥り、その存続が厳しくなってしまったのです。

「お願いします!みんなを救えるのは、国民の支持を得ている大統領閣下を措いていないのです!」

「どうか再び、私たちをお救い下さい!」「大統領!」「大統領!」

あんまりせがまれるので、ガブリエルは仕方なく「前大統領」の肩書を称し、修道院を維持するための寄付を広く呼びかけて資金調達に奔走。

復活した修道院(イメージ)。

努力の甲斐あって存続の目途がついた1972年、復活した修道院の祭典において、ガブリエルは国民の満場一致で「終身大統領」に祭り上げられてしまいます。

「え、えぇ~……」

こうなっては仕方なく、ガブリエルはソジェー共和国の大統領に復帰しました。

「でもまぁ、どうせやるならそれっぽくしたいわね」

という訳で首相と官房長官、そして12名の大使を選任して村おこしの実務を担当させ、在任中に300名以上の名誉市民を表彰。

また、ソジェー方言で作曲された「Hymne du Saugeais(ソジェーの賛歌)」を国歌に採用したほか、1987年には記念切手(建国40周年&大統領就任15周年のいずれかor両方)、1997年には大統領就任25周年記念紙幣(ソジェー・ソル※)を発行しており、これらは今でも地元の観光事務所で購入できます。

(※ソル:紀元4世紀にローマ帝国が発行した通貨で、フランスでは13世紀~18世紀ごろまで流通。フランス・フランの採用によって廃止されており、要はユーモアの一種ですが、地元では実際に使えるのか、是非とも調べてみたいものです)

第4代大統領ジョルジェット・ベルタン・プーシェ(2005年~)

そんなガブリエルは2005年8月31日に99歳の天寿をまっとうし、彼女の娘であるジョーゼット・ベルタン・プーシェ(Georgette Bertin-Pourchet)が大統領を継承して現代に至ります。

きっと、母親が終身大統領に就任した辺りから「次は私の番なんだろうな……」と薄々感じていたのかも知れません。

ソジェー共和国代表が、ワールドカップに出場する日が楽しみですね!ね?(イメージ)

ちなみに、ソジェー共和国にはサッカーのナショナル選抜チームもあり、NF-Boardにも加盟していますが、まだ国際大会に出場したことはないようです。いつか、EUROやワールドカップに出場できるといいですね。

以上、フランスのミクロネーション・ソジェー共和国について紹介しましたが、地域ぐるみでユーモアを共有できるセンスと心の余裕は、現代社会においても大切にしたいものです。

フランス旅行へおいでの際は、ソジェー共和国への観光もお忘れなきよう(笑)それでは……Bonnes vacances(良いバカンスを)!

※参考:La république du Saugeais(モンベノワ市観光局によるソジェー共和国の紹介)

角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【2500人の多重人格】で父の虐待から生き延びたジェニ・ヘインズ…
  2. 毛沢東はどんな人物だったのか?③ 「不倫を重ねた4人の妻たち、長…
  3. 客家人の神豚祭りとは 「無理やり餌を食べさせ、一番重い豚を育てれ…
  4. メッタ刺しにされても生き延びた「世紀の悪女」 イメルダ・マルコス…
  5. 安倍晋三氏の外交的レガシーを振り返る 〜トランプ氏の親友となった…
  6. 中国詐欺グループの手口について調べてみた 「電話詐欺、裏口入学詐…
  7. タピオカミルクティーの創始者は誰か? 「発祥地の台湾で10年も裁…
  8. 毛沢東は、いかにして「神」と崇められる存在になったのか

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

『20歳で壮烈な死を遂げた会津藩きっての美女』 中野竹子とは 「生け捕られてたまるか!」

「武士たちの戦い」と聞くと、堂々たる体躯の男性武将や歩兵たちが激しく戦う姿を思い浮かべる人は多いでし…

【光る君へ】 紫式部が源氏物語の着想を得た「石山寺」 魅力あふれる寺院だった

念願の「石山寺」にはじめての参詣以前からずっと気になっていた寺院がありました。その寺の名…

伊達政宗の意外な趣味とは? 〜天下の大将軍を手料理でもてなした料理の達人

「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなすことである」この言葉を聞いて、ど…

徳川幕府転覆を計画した男・由井正雪 【数千人の浪人で江戸城を襲撃~慶安の変】

由井正雪とは由井正雪(ゆいしょうせつ)は、江戸時代前期の軍学者で、徳川幕府に対して大規模…

馬忠とは 「関羽殺しのリーサルウェポン!?『三国志』に登場する謎多き実像」

『三国志』ファンで関羽(かん う。雲長)を知らない人はいないと言っても過言ではないでしょう。…

アーカイブ

PAGE TOP