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ディズニー社はなぜ著作権に厳しいのか調べてみた

ディズニー社はなぜ著作権に厳しいのか調べてみた
※ウォルト・ディズニー (1954年1月1日)

著作権とは、明確な形を持たない無体財産権(無形固定産)である。

主な無体財産権は、書物、言語、音楽、絵画、建築、図形、映画、コンピュータプログラムなどである。

つまり、マンガやアニメのキャラクターにも著作権は存在する。勝手に使用すれば、権利者により削除を求められたり、損害賠償請求に発展することもあるわけだ。

そんな著作権の厳しさで有名なのが、ディズニー社である。

これはアメリカ本国に限らず、日本はもちろん、世界の多くの国で自社キャラクターの著作権や商標権を有している。そこまでは当然の権利といえるが、ディズニーの場合は特に、違反者に対する対応が早く、対処も厳しいといわれる。

では、なぜディズニーは著作権に厳しいのだろうか?

ウォルト・ディズニーの失敗

ミッキー・マウスの生みの親であるウォルト・ディズニー(Walt Disney, 1901年12月5日 – 1966年12月15日)は、青年期を漫画家として過ごした。やがて、兄のロイのツテで広告デザインの仕事をするようになる。ここで生涯の友となるアブ・アイワークスと出会った。

アブ・アイワークスは、ウォルト・ディズニーが「絵の天才」と認める人物であった。友情と言うよりも「信頼の置ける天才」とも言うべき存在だったようだ。

そんな2人はアート・スタジオから契約更新を打ち切られたことを機に、二人で新しい創作活動を始める会社を立ち上げた。「ウォルト・アイワークス・カンパニー」である。

やがて、兄のロイ・ディズニーと共に「ディズニー・ブラザーズ社」を興すと、有能なアニメーターを集め、本格的なアニメーション製作に乗り出す。


※ロイ・ディズニー

「アニメに実写映像を取り込む」というあまりに単純な逆転の発想で「アリス・コメディ」がヒットし「さあ、これからだ!」というとき、この作品に登場する「ジュリアス・ザ・キャット」というキャラクターが、「フィリックス・ザ・キャット」の著作権に抵触するといわれたのだ。

※『フェリックスと春の嵐』フィリックスとウィンキーとインキー (1930年)

結果、制作会社「パット・サリヴァン」に訴えられることにより、「ジュリアス・ザ・キャット」は使用できなくなった。(フィリックス・ザ・キャットは日本では10円ガムで有名な黒ネコのキャラクター)

さらなるウォルトの失敗

1927年、興行師(興行の仲介・交渉なども行う)であるチャールズ・B・ミンツの紹介でユニバーサル・ピクチャーズと繋がりを得たウォルトは、自社キャラクターとして「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を考案、オズワルドを主人公にしたアニメをユニバーサル配給で制作した。オズワルドはうさぎをモチーフにしているが、よりミッキー・マウスに近いキャラクターである。


これもまた大ヒットとなったが、1928年、ミンツと契約料の交渉に臨んだウォルトにまたもや悲劇が訪れた。

ミンツはユニバーサル社に法外な配給手数料を支払う様に要求、それを拒否したウォルトに対し、ミンツはディズニー社の従業員を引き抜く手段に出たのである。

これにより、アイワークスを除く殆どのアニメーター達が応じてしまった。さらにオズワルドの著作権を巡り、ユニバーサル・ピクチャーズと交渉をしたが、これも決裂してしまう。

ここに至り、ディズニー社は有能な社員とオズワルドという財産を失ったのだ。

ウォルトの想定外

ふたたび、アイワークスと共同で「ミッキー・マウス」を生み出したウォルトは、オズワルドを上回る人気を獲得。ディズニー社は世界的な知名度を得て再建された。

その後は、テーマパーク事業に乗り出し、1953年9月にはカリフォルニア州アナハイムに160エーカー(730,000m2)の土地を購入し用地を確保した。

1955年7月17日にディズニーランドは正式にオープンし、ウォルトの予想通りの大人気となる。しかし、またもやウォルトにとって想定外の事態が起きた。

やがては自社ブランドの直営ホテルの建設を予定していたウォルトだったが、パークのヒットに便乗した企業が次々と周辺にホテル、レストラン、スポーツ施設、なかにはいかがわしいレジャー施設などをオープンさせていったのだ。これでは「夢と魔法の王国」のイメージが崩れてしまう。
しかし、ディズニー社はパーク周辺の土地を十分に確保していなかったために、何も言えなかったのである。

それを教訓に、フロリダのディズニーワールドを計画した際には、ディズニーランドの150倍以上、約3300万坪(山手線の内側の1.5倍の面積)にもなる土地を確保した。こうして、日常と切り離されたフロリダの楽園が完成したのである。

日本で生きるウォルトの教訓

こうした経験から、ディズニー社は著作権の重要さと景観の大切さを学んだ。そして、その教訓は日本の東京ディズニー・リゾートにも活かされている。

東京ディズニー・リゾートの最寄り駅が「舞浜」になった理由は、もし「ディズニーランド前駅」にしてしまった場合、その名称は公共性を持ち、周辺に「ディズニーランド駅前店」の名がつく無関係な施設が作られるのを避けるためである。もし、いかがわしい店舗に、そのような名前が付けられてしまってはたまらない。
そのため、アメリカのマイアミにちなんで「舞浜」とされたことは有名だ。

しかし、一方で東京ディズニー・リゾート内を一周する「ディズニーリゾートライン」には「東京ディズニーランドステーション」や「東京ディズニーシーステーション」などがある。これはどういうことかというと、駅周辺の土地はすべて運営会社である「オリエンタルランド」の私有地なのだ。


※東京ディズニーシーステーション前 撮影:gunny

さらにいえば、東京ディズニー・リゾート全体を含む舞浜エリアの大部分をオリエンタルランドが所有している。

エリア内の道路もすべて私道であり、周辺に他の企業が店舗を作ることが出来なくなっている。

最後に

著作権や商標を守るのは大切なことである。今でこそ日本もその大切さを実感しているが、ウォルトはそれよりずっと以前にそのことを学んだ。
我々も何気なくインターネットの画像を利用するが、そこにも著作権が存在することを忘れないようにしようではないか。

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gunny(ガニー)です。こちらでは主に歴史、軍事などについて調べています。その他、アニメ・ホビー・サブカルなど趣味だけなら幅広く活動中です。フリーでライティングを行っていますのでよろしくお願いします。
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コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2023年 6月 16日 1:00am

    カリフォルニアのディズニーランドの建設後の他企業のホテルやレストランはどのように対処したのでしょうか?

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