近年話題として挙がっている、同性婚。
LGBT当事者や支援者、そして特定の政党が合法化を希望し運動しているが、現時点では「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」するものと憲法に定められているため、実現していない。
令和2年2月時点において、G7の先進国のうち、同性結婚も正式な同性パートナーシップもも法制化されていないのは日本のみという現状がある。
これを受けて
「結婚は男女のためのもの、同性で一緒になるのは変だ」
「日本の伝統的家族制度を揺るがすものだ」
そのように考える層も依然として強い。また、
「本当に愛があるなら結婚という形にとらわれる必要はないのでは」
「税制上のメリットを得たいだけなのではないか」
といった声もある。
今回は、賛否両論の聞こえる同性婚を当事者目線から考えてみよう。
■トランスジェンダーと同性婚
まず、LGBTのT、トランスジェンダーにとって同性婚はどのような意味を持つものか、見ていこう。
トランスジェンダーの「異性愛者」は正確には同性愛ではないが、戸籍の性別が未変更の異性愛の当事者にとって「異性」との結婚は法律上同性婚ということになる。
トランスジェンダーの異性愛者は、パートナーと法的に結ばれるためには戸籍を変更するしかない。
現行の日本の法律では、健康な臓器を手術により摘出して生殖能力を喪失させなければ、戸籍上の性別を変更することができない(海外には、未手術であっても法的性別を「訂正」できる国も存在する)。
手術は、ホルモン治療をしている場合、保険は適用されず莫大な出費となる。
これは、内臓をえぐり出す大手術となり、明らかな術創が残ったり、退院後も涙ぐましい「メンテナンス」が必要なものとなる。
当然、この手術のために長期間の休職等をして療養する必要が生まれる。
また、カムアウトしない派の当事者であれば、この期間の「アリバイ」をいかに作るかといった難題にも直面させられる。
もし同性婚が可能でさえあれば、「違う体を持って生まれてしまっただけ」のトランスジェンダーも、健康な肉体にメスを入れずに、本心から愛せる人と結ばれることができるのだ。
そうすれば、ハンデのある人生であっても生きがいが生まれ、仕事に精を出したり、異性愛の夫婦を見ても心から祝福できるようになるというメリットがある。
■ゲイのの社会的受容と健康の関係
次はLGBTのG、ゲイについて。
現在の日本では、同性同士の結婚が認められていないので、同性愛者の交際はどうしてもコソコソとした関係性になってしまいがちな現状がある。
本当は誠実な愛情の関係にあり、場合によっては養子をもらって育てたいという真心のあるカップルであっても、公的に認められていないがために、後ろめたいことのように隠さざるをえない現状がまだある。
欧州などのように同性結婚やパートナーシップが大々的に認められると、ゲイ=男にしか興奮できない異常者というようなスティグマを払拭し、「同性同士で愛し合い、異性愛のカップルと同様に、時にはそれ以上に健全な家庭を築く人」というイメージも持たれるため生き方の選択肢が生まれるが、日本国内ではまだセクシュアリティ=人権・人生の問題というよりも「個人的な夜の嗜好の話」というイメージでとらわれがちな傾向がある。
つまり、法整備や啓発活動が必要な問題ではないと考える層はまだ多い。
日本において、男性同士の性交によるHIV/AIDSは現在も深刻な課題だが、
世間において認められない=自分は隠れて生きなければいけない→自分は間違った存在という感覚を持つ→自己否定感による苦しさやむなしさを感じる→辛さを紛らすため刹那的な快楽に走る→快楽の追求がエスカレートし危険な性行為に走る→HIV/AIDSの保菌者・患者となる
このような流れを辿るケースがあることは否定できない。
異性愛者でも、結婚をすることによって法的な心理的拘束感が生まれるので、独身時代よりは貞操観念を意識することが増えるだろう。
しかし、法的な枠組みにはまらず、世間的にも肯定されていないゲイの場合、
「きちんとした関係じゃないし、だらしなくても良い」
「どうせ自分は変態扱いされるし」
という気持ちになることは否定できない。
ゲイのうち、不特定の相手と性交を行う「ハッテン場」に通う層は一部だが、その一部のゲイ人口が「どうせ」という刹那的な気持ちで、後先を考えない興奮重視のリスキーな性行為をエスカレートさせるケースは存在しうる。
もし同性同士であっても婚姻が公然と認められているならば、いつまでも刹那的な行為に耽るのではなく落ち着いた安らぎや、長期的な信頼関係をより強く築いていきやすくなるのだ。
■レズビアンも支え合って生きやすく
同性婚は勿論、レズビアンにとっても大きなメリットである。
日本において男女の賃金には未だ格差がある。
結婚についても、独り身の女性は男性以上にハラスメントや偏見に晒されやすい。
男性の一人暮らしは普通でも、女性の一人暮らしは何かと不安な面も多い。
そんな社会において、自分の良いと思った人と、性別を問わずに所帯を持つことができたら心強い。
同性婚が普通になれば、最初は好奇の目で見られても時代を追うごとに「既成事実」「ライフスタイルの一つ」として認知されていくだろう。
もし時代に追いつけない異性愛中心主義者にプライベートの話を振られたとしても「結婚しています」とだけ答えて話を切り替えることはできる。
そこで、それ以上話を追究するのであればセクハラとすることもできるし、察しのよいまともな大人であればそっと黙認する、あるいは隠れたLGBT当事者が、それとなく味方になるかもしれない。
いずれにせよ、社会的にまだ弱い立場に置かれることのある女性にとってひとつでも多くのライフスタイルと法的サポートが増えるのは、国民にとって良いことであると考えられるだろう。
■結婚が全てではないが、選択肢として
実はLGBT当事者の中にも、同性婚をしたがらない人も存在する。
それは、結婚制度そのものに疑問を持っている人であったり単純に「非モテ」だからという人もいる。
LGBT活動家の主張のしかたを良く思わない層もいるのだ。
とはいえ、性別を問わず生計を一にすることが公的に認められることは多様な生き方、様々な人間らしさを肯定できる動きには違いない。
異性愛者は結婚をするかしないか選択することができるように、同性愛者でもトランスジェンダーでもそれ以外でも、誰もが結婚という選択肢を視野に入れて生きることができる。
それは確かに平等で豊かな社会のあり方かもしれない。
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