安土桃山時代

松永久秀は本当に『戦国の三梟雄』だったのか? ~意外と悪者ではなかった説

松永久秀
松永久秀は『戦国の三梟雄』の一人として知られている。

梟雄(きょうゆう)とは、残忍で勇猛な人物を指す言葉であり、一般的には「悪者」のイメージである。

松永久秀は、「信長の野望」などのゲームによって知名度が大きく上昇したが、一部のシリーズではギリワン(義理が1でとっても裏切りやすい)という不名誉なあだ名がつけられてしまった人物でもある。

しかし、「実は義理堅い人物だったのではないか」という説もある。

今回は、そんな松永久秀の実像について掘り下げていきたい。

松永久秀は「信長の野望」でどんな評価をされているのか?

松永久秀

画像 : 松永久秀 public domain

ちなみに筆者は現在、信長の野望の最新作である『信長の野望 新生PK』をプレイ中だ。

今回の『信長の野望 新生PK』では様々なイベントが用意されているのが、三好家を中心にしたイベントも多々あり、松永久秀も度々登場する。

松永久秀のパラメータおよびプロフィールは以下の通りだ。

人名:松永 久秀
別名:松永 弾正、霜台
官位:従四位下、弾正忠・山城守・弾正少弼
出身:阿波国・山城国西岡(現在の西京区)・摂津国五百住など諸説あり
出生:1508年や1511年と諸説あり
没年:1577年11月19日
父親:不明
母親:不明
配偶者:松永女房
側室:広橋保子(広橋兼秀の娘)、小笠原成助の娘
子供:久通、千少庵、長女(伊勢貞良室)、女(日根野弘勝室)、女(竹内長治室)、女(三好長治室)
主な参戦:相国寺の戦い、北白川の戦い、将軍地蔵山の戦い、久米田の戦い、金ヶ崎の戦い 等
関わりの深かった人物:三好長慶、三好実休、安宅冬康、十河一存、織田信長 等
信長の野望 新生PK:統率86、武力72、知力94、政治90
信長の野望 新生PKでの列伝
三好家臣。主家を簒奪し、将軍・足利義輝を殺し、東大寺大仏殿を焼いた稀代の梟雄。のち織田信長に属し、謀叛を起こすが敗れ「平蜘蛛」とともに爆死した。
引用:松永久秀【新生】 | 信長の野望 徹底攻略(https://nobunaga-kouryaku.com/shinsei/database/samurai/1890)

列伝でもはっきりと『主家を簒奪し、将軍・足利義輝を殺し、東大寺大仏殿を焼いた稀代の梟雄』と書いてあるのがポイントだ。

つまり、歴史的な造詣が深いコーエー側からも、松永久秀は梟雄と見られている。

本当に梟雄だったのか

松永久秀が『裏切り者の象徴』『ギリワン』『日本三大梟雄の一人』と呼ばれているのは、主に以下の説による。

・将軍・足利義輝暗殺の実行者は息子の松永久通と三好三人衆だが、黒幕だった。
・三好長慶の後継者と期待されていた嫡男・三好義興を暗殺した。
・長慶の弟たち・十河一存を暗殺、安宅冬康を讒訴して殺させた。
・東大寺の大仏焼き討ちを行った。
・織田信長を裏切った。

この説をひとつずつ掘り下げていこう。

・足利義輝暗殺の実行者は息子の松永久通と三好三人衆だが、黒幕だった

松永久秀

画像 : 足利義輝 public domain

まず大前提として将軍・足利義輝暗殺に、松永久秀は加わっていなかった。

直接的に加わっていないが黒幕である」というのが通説だったが、他の史料では「この頃の松永久秀は京への出仕は息子の久通に任せる事が多く、大半を大和国で過ごしていた」とされ、事件当日も久秀はその場にはおらず、大和国にいた。

さらに久秀は、足利義輝暗殺後に「義昭の命は取るつもりはない」と誓詞も出しており、関係者を皆殺しにしようとしていた松永久通と三好三人衆の動きに同調していない。

松永久秀の悪名は、出生も明らかではない怪しい人物が三好長慶に取り立てられ官位までもらい、将軍に謁見できるほど成り上がったことを気に入らなかった者たちの、根も葉もない噂が原因という説もあるのだ。

・三好長慶の後継者と期待されていた嫡男・三好義興を暗殺した

松永久秀

画像 : 三好義興像(摸本) public domain

三好義興(みよしよしおき)は三好長慶の嫡男で、教養が高く武勇にも優れ、人望もあったことから将来を期待されていた。

しかし、永禄6年(1563年)病に倒れ、父より早く亡くなってしまった。(享年22)

この死に関しても松永久秀の毒殺説があるが、後世に造られた軍記物を典拠とする風聞であり、事実無根とされている。

とはいえ、当時から久秀による暗殺説の噂はあったようだ。『足利季世記』にも「松永久秀が暗躍したという人々の雑説があった」との記述がある。しかしそういった風聞があったと記述するのみであり、久秀による暗殺には懐疑的な姿勢をとっている。

・長慶の弟たち・十河一存を暗殺、安宅冬康を讒訴して殺させた

三好長慶の弟・十河一存(そごう かずまさ)の死は、こちらも当時から松永久秀による暗殺説が噂されていたようである。しかし実際には病死である。

同じく三好長慶の弟・安宅冬康(あたぎ ふゆやす)は、長慶に謀反を疑われて自害している。

『続応仁後記』『三好別記』では、松永久秀に陥れられた(讒訴された)との記述があるが、『足利季世記』や『細川両家記』では、讒訴はあったが誰によるものかは不明となっている。

また、当時の三好長慶はうつ病を患っていたとされ、「鬱病の末期症状による被害妄想が原因」という説もある。

・東大寺の大仏焼き討ちを行ったから

画像 : 東大寺盧舎那仏像 public domain

三好長慶の死後、松永久秀と三好三人衆は対立して戦となった。

そして戦の流れで、三好軍は東大寺を本陣とした。

その後、久秀が東大寺を奇襲したことで結果的に大仏が燃えてしまったわけで、久秀一人の責任ではない。

・織田信長を裏切ったから

松永久秀が信長を裏切った理由は、当時の主君である三好義継が足利義昭と対立してしまったためである。
その頃の信長は義昭の庇護者という立ち位置だったので、対立構造になるのは防ぎようがない。

最後に

こうして改めて検証してみると、松永久秀の『裏切り者の象徴』『ギリワン』『日本三大梟雄の一人』といったイメージは随分変わってきそうである。

ゲームでは常に悪人面で描かれる松永久秀だが、何年か後の「信長の野望」では、爽やかなイケオジになって登場する可能性もあるだろう。

参考 : 足利季世記、続応仁後記、三好別記 他

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子

コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2024年 1月 17日 12:17am

    すでに新生のイベントでも悪人ではなくなってますが顔は悪人ヅラですからイケオジになる事はなさげ。

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