西洋史

【世界三大美女】クレオパトラの真の素顔 「実はエジプト人ではなかった」

クレオパトラの真の素顔

画像 : 絨毯の中からカエサルの前へ現れるクレオパトラ “Cléopâtre et César” ジャン=レオン・ジェローム画、1886年

実はエジプト人ではなかった!クレオパトラの出生

エジプト王朝、最後の女王として有名なクレオパトラだが、厳密にはエジプト人ではない
ギリシア、マケドニア系の血を受け継ぎ、イランの血も少し入っていたとされている。

マケドニアのアレクサンドロス大王に征服されたエジプトは、彼の死後、その武将であったプトレマイオスを祖とするプトレマイオス王朝によって統治されていたが、強国ローマの軍事的脅威の下で滅亡寸前であった。

その状況下でクレオパトラは紀元前69年、プトレマイオス12世の娘として誕生する。

「クレオパトラ」とは王家代々継がれてきた名で、正確には「クレオパトラ7世」という。

血ぬられた一族の秘密

プトレマイオス王家は、アレクサンドロス大王の意志を継いで、当時としては驚くべき高い文化的教養を身につけていた。
アレクサンドリアという地中海の文化的首都があり、そこには数十万巻の本に恵まれた図書館があった。
有名な学者、哲学者、天文学者、数学者など、多くの英知ある人々が集まっていたという。

しかし、プトレマイオス王家はのちに血で血を洗う骨肉の争いを招くこととなる。
古代エジプトの「ある伝統」にしたがっていたからである。

近親婚だ。

王家の兄弟姉妹で結婚させ、国を共同統治することは当時、当たり前の慣習ではあったが、プトレマイオス王朝では権力争いの原因となり、親族同士で殺戮を繰り返し滅亡に追いやられることになる。

骨肉の争いの一族のなかで育ったクレオパトラは、自身も同じ道を歩んだ。
父の死後、18歳のクレオパトラが王位につき、弟で10歳のプトレマイオス13世と結婚し、父の遺言状通りに権力を共有した。(年齢は文献によってはやや差異がある)

現代の我々にはとうてい理解できないことだが、若いふたりにとっては結婚も名ばかりであった。

10歳の弟はとりまきの操り人形になり果ててクレオパトラに反発し、ついには姉であり妻でもあるクレオパトラを砂漠へ追放してしまったのである。

クレオパトラの真の素顔

画像 : 『クレオパトラをエジプト女王へ据えるカエサル』

その後、クレオパトラはローマから来た野心家、ユリウス・カエサルを取り込んで自身の後援者とし、プトレマイオス13世はカエサルから逃れる途中、ナイル川で命を落とした。

王の死によりカエサルは、さらに弟で当時11歳のプトレマイオス14世をクレオパトラの夫としてエジプトの王位につけ、クレオパトラに実権を与えた。
二人目の夫も幼き弟であった。

ところが、クレオパトラはすでにカエサルの子どもを宿していたのである。
カエサルが暗殺されると、プトレマイオス14世も突如、死亡する。

カエサルとのあいだに生まれた息子「カエサリオン」(小さなカエサル)を政治的切り札として利用しない手はない。
亡き王プトレマイオス14世に代わってカエサリオンがプトレマイオス15世となり、たった3歳で王位についた。

事実上の実権者はもちろんクレオパトラだった。

プトレマイオス14世はクレオパトラが殺した」とローマの史家イオセポスは記しているが、真実を示す記録は残っていない。

クレオパトラの真の素顔とは

クレオパトラは「絶世の美女」とよくいわれているが、フランスの哲学者パスカルによる『パンセ』の有名な一節がある。

「クレオパトラの鼻がもうすこし低かったら、歴史は変わっただろう」

男の心を次々ととらえたクレオパトラは、「さぞかし、すばらしい美人だったろう」という意味をこめてこの言葉を残したとされている。

その一方で、クレオパトラが「もう少し美人だったら……」という反対の意味を表しているという意見もある。
今日に残っている彼女の肖像に対する評判があまりよくないからだ。

クレオパトラの真の素顔

画像 : クレオパトラ7世頭部(紀元前40年頃、ベルリン美術館蔵)

英雄伝』で有名なプルタルコスはこう言った。

「見る人を驚かすほどのものではなかったが、人あしらいに人をそらさない魅力があり、容姿と会話の説得力がいつしか人をとらえ、人を打った」

クレオパトラは教養の高い才女で、芸術、科学、哲学などあらゆる学問を学び、多くの言語を操った。
学の高いクレオパトラが弁舌を振るったことで、男たちが魅了されたことは想像に容易い。

権威者であるユリウス・カエサルマリウス・アントニウスをその色香で手玉にとったと、ローマではすこぶる評判が悪く、「娼婦女王」「ナイルの魔女」などローマ市民は言いたい放題だったという。

画像 : 1963年の映画『クレオパトラ』より、エリザベス・テイラー(クレオパトラ7世)とリチャード・バートン(アントニウス) public domain

しかし、プトレマイオス王朝の女王として、クレオパトラは強国ローマの前で必死にもがき、生きる術を模索した。

あふれる知性を身にまとい、女の武器を最大限に利用することでしか自国を強国ローマから守ることはできない」と考え戦い抜いたのだ。

ローマの協力を得て自国を守り抜こうとした政治家であり、優れた統治者ともいえよう。

自国滅亡という悲劇で終幕するが、女ひとりで背負うには重すぎた帝国であった。

参考文献 :
国を傾けた女たちの手くだ』(森下賢一著 白水社)
古代エジプト女王・王妃歴代誌』 (ジョイス・ティルディスレイ監修 吉村作治/訳者 月森左知 創元社)

 

アバター

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. カンナエの戦いをわかりやすく解説【共和制ローマvsカルタゴ】
  2. 世界で話題沸騰!未来計画ノート「バレットジャーナル」の活用方法
  3. ビッグモーターとアウシュビッツ 【ヒトラーに従い、ユダヤ人を虐殺…
  4. ハプスブルク家の歴史と特徴的すぎる遺伝子 【ワシ鼻、受け口】
  5. 金のために祖国を売ったCIA職員・オルドリッチ・エイムズ 【日曜…
  6. 東南アジアで暴れた日本人傭兵たち ~17世紀に起きた「アンボイナ…
  7. あまりにも残酷すぎる最後を遂げたマリー・アントワネットの親友『ラ…
  8. 【美人すぎて敵将も虜に】イタリアの女傑カテリーナ 「子はここから…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

有馬記念の昭和から令和まで全64回の成績を振り返る 【平成・令和編】

有馬記念(3歳以上オープン 国際・指定 定量 2500m芝・右)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競…

可哀想&ゲスすぎる…『丹後国風土記』が伝える、天女と老夫婦のエピソード

皆さんは「天女の羽衣」という昔話をご存じでしょうか。昔むかし、ある男が地上に下りてきた天女の…

世界の巨大兵器について調べてみた 【パリ砲、カール自走臼砲】

※画像.B-52兵器の進化は「小型化」への道といえる。戦場においてよりコンパクトに、そし…

世界が恐れ嫌悪した禁書『ソドム百二十日』とは ~サディズムの語源となったサド侯爵

『ソドム百二十日』とは、貴族であり作家のマルキ・ド・サドが、1785年に著した処女作である。…

関ヶ原の戦い!本当の裏切り者は誰だったのか? 【小早川秀秋、島津義弘 編】

関ヶ原の戦いおよそ100年も続いた戦国時代に終止符を打ったのは、慶長5年(1600年)9…

アーカイブ

PAGE TOP