江戸時代

【勘違いで人を殺した稀代の天才】 殺人罪で投獄された平賀源内の意外な最期

平賀源内といえば「幕末にエレキテルを発明した偉人」と覚えている人も多いかもしれません。

しかし実際のところ、彼はエレキテルを発明していません。

今回の記事では教科書では学べない平賀源内の天才っぷり、そして意外な最期について紹介していきます。

平賀源内の生い立ち

画像 : 平賀源内 public domain

平賀源内(ひらがげんない)は、享保13年(1728年)、讃岐国(現在の香川県のあたり)に生まれました。
父は讃岐高松藩の藩士・白石茂左衛門。源内は白石家の三男坊です。

白石家はもともと、信濃国(現在の新潟県のあたり)を拠点とする「平賀氏」という豪族だったという説があります。
しかし戦国時代、甲斐の武田家に攻め込まれて滅亡。白石姓に改めて東北や西日本などを転々とした後、讃岐に落ち着いたと言われています。

平賀源内は幼いころから非常に優秀で、いろいろなものを工夫して作る発明少年だったようです。

画像 : エレキテル(複製)国立科学博物館の展示 wiki c Momotarou2012

平賀源内の功績といえば、エレキテルのみがクローズアップされがちです。

しかし他にも、医学の心得があり、建築の設計も行い、薬草の研究をして、鉱山を開発して小説を書き、さらに脚本家としても名を上げ、コピーライターのような仕事までしていました。
まさになんでもできる万能の人。

日本版レオナルド・ダ・ヴィンチのような人物だったのです。

エレキテルだけじゃない!何でもできる万能の人、平賀源内

平賀源内は、西洋画の技法を取り入れて油絵も描いており、彼の描いた「西洋婦人画」という絵は教科書にも紹介されています。

画像 : 平賀源内 西洋婦人図 CC BY-NC-SA

また「風来山人」というペンネームで、実際にいた屁こき芸人を登場させた「放屁論」という戯作(江戸後期の通俗小説類の総称)を執筆し、「おなら」について真面目に論じるなど笑いのセンスもあったようです。

そして源内は、私たちが教科書で習うような他の著名人たちにも、大きな影響を与えたようです。

錦絵の創始者である鈴木春信は自身の本の中で、「平賀源内さんが居なかったら錦絵は生まれなかった」と記しています。

解体新書で有名な杉田玄白も平賀源内を精神的な支えとしていたようで、『蘭学事始』の中では、わざわざ1章分を源内の話にしているほど。

画像 : 杉田玄白 public domain

さらに杉田玄白は『解体新書』の挿絵を当初は源内に頼むつもりでしたが、源内は「若いやつにも活躍の場を与えないと」と辞退して弟子の画家を紹介したと言われています。

ちなみに源内はエレキテルを発明したわけではなく、長崎で買った壊れたエレキテルを研究して、その後7年という月日をかけて修理し、使えるようにしたのです。

0から発明したのと、使えるようにしたのはかなり違いますよね。

しかし、これだけすごい業績を持っていたら「発明した」と勘違いされてしまうのも頷けます。

勘違いで人を殺した!?稀代の天才、平賀源内の寂しい最期

平賀源内は非常に多才だったため、さまざまな仕事の依頼を受け、その中には幕府や諸藩から依頼された機密事項に関連した仕事もあったようです。

画像 : 平賀源内の肖像、中丸精十郎(1841-1896)筆 public domain

エレキテルを復元してから3年経ったある日、ある大名から屋敷の修理を依頼されました。

その修理を共同で行う予定だった大工の棟梁2人と酒を交わした夜、源内はなんと泥酔して修理のための図面を紛失。

そして「これは大工が盗んだに違いない!」と思い込み、棟梁2人を殺してしまったのです。
しかし後日、その書類は源内の帯の間から見つかります。
源内は勘違いで人を殺し、殺人犯として投獄されてしまったのです。

その後、源内はその獄中で亡くなりました。

衛生状態の悪い獄中で破傷風になってしまったことが死因とされています。
また、投獄されたことを恥じて、一切食事を摂らなかったため衰弱死したという説もあります。

これだけ多くの人に影響を与え、万能の人として活躍した平賀源内でしたが、最期は牢屋内で一人で亡くなったかと思うと少し物悲しさを感じます。

平賀源内の墓碑銘は杉田玄白が記しました。

ああ非常の人、非常のことを好み、何ぞ非常に死するや

あなたは常識とは違う人だった、常識とは違うものを好み、常識とは違うことをしてきた。なぜ死ぬときまで常識とは違ってしまったのか…。

杉田玄白が、平賀源内の死をいかに残念がっていたかが良くわかる一文です。

波乱万丈の天才は、波乱に満ちた最期だったようです。

おわりに

平賀源内は、教科書や時代劇にもたびたび登場する有名な偉人でした。

マルチな才能を発揮して多くの人に影響を与えたにもかかわらず、最期は獄中死なんてなんとも悲しい結末です。

しかし、幕府が源内の死を偽装して、本人はなんとか逃れた後、余生を過ごしたという説もあるようです。
天才とミステリーは切っても切り離せないのかもしれません。

参考 :
日本史の新事実70 著:浮世博史
平賀源内: 「非常の人」の生涯 著:新戸 雅章

 

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草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2024年 2月 10日 7:39am

    >発明したわけでは無く、
    打ち消しの「ない亅は通常、漢字にしません。
    >最後まで波乱に満ちた最期
    最期以外は波乱に満ちていなかった…?

    0
    1
    • アバター
      • 草の実堂編集部
      • 2024年 2月 10日 12:47pm

      ご指摘ありがとうございます!
      修正させていただきました!

      1
      0
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