戦国大名の異名
400年以上も経っても現代の日本人を魅了し続ける多くの戦国武将たちには、その個性や強さを表現する異名やあだ名、別名・渾名・二つ名を持つ者が多くいた。
格好良い異名や少し恥ずかしい異名まで、様々な異名が存在する。
例えば「甲斐の虎」と呼ばれた武田信玄、「越後の龍」と呼ばれた上杉謙信)、「相模の獅子」と呼ばれた北条氏康など、強い動物の異名は有名である。
今回は、戦国武将たちの異名やあだ名について調べてみた。
動物
武勇に秀でた者や謀略に長けた者、外見が似ていたなどの理由で、「動物」の異名をつけられた主な武将たちは以下である。
「甲斐の虎」・武田信玄、「越後の龍」・上杉謙信、「相模の獅子・相模の虎」・北条氏康、「独眼竜」・伊達政宗、「猿・はげ鼠(ねずみ)」・豊臣秀吉(羽柴秀吉)、「美濃のマムシ」・斎藤道三、「甲山の猛虎」・飯富虎昌、「野の虎」・長宗我部国親、「北近江の鷹」・浅井長政、「三河の鷲・狸親父」・徳川家康、「阿波の狸」・蜂須賀家政、「肥前の熊」・龍造寺隆信、「羽州の狐」・最上義光、「鳥なき鳥の蝙蝠(こうもり)」・長曾我部元親、「津軽の梟雄」・津軽為信、「尾張の虎」・織田信秀、「上州の黄斑(おうはん)」・長野業正、「甲斐の猛牛」・秋山信友、「雲州の狼」・尼子経久など。
鬼
武勇に優れ、敵から恐れられた戦国武将には、「鬼」という異名が一番多くついたという。
「鬼の小十郎」・片倉小十郎(片倉重長)、「鬼義重」「鬼佐竹」・佐竹義重、「岡部の黒鬼」・岡部長盛、「鬼の半蔵」・服部半蔵、「鬼柴田」・柴田勝家、「鬼五郎左」・丹羽長秀、「鬼武蔵」・森長可、「鬼武蔵」・新納忠元、「鬼玄蕃」・佐久間盛政、「鬼将軍」・加藤清正、「鬼美濃」・原虎胤、「鬼美濃」「不死身の鬼美濃」・馬場信春、「鬼若子」・長曾我部元親、「鬼十河」・十河一存、「鬼小島」・小島弥太郎、「青鬼」・籾井教業、「鬼神」・尼子経久、「鬼島津・鬼石曼子」・島津義久、「丹波の赤鬼」・赤井直正、「井伊の赤鬼」・井伊直政、「鬼真壁」・真壁氏幹、「鬼九郎・夜叉九郎」・戸沢盛安、「鬼虎」・小畠虎盛、「鬼作左」・本多重次、「鬼道雪」・戸次道雪(戸次鑑連)、「丹波鬼」・羽多野宗高、「鬼道雪」・立花道雪など。
仏
人当たりが良く人望に厚く、主君や家臣に温順で信頼された武将には「仏」という異名がついた。
「仏の茂助」・堀尾吉晴、「仏高力」・高力清長など。
槍
戦国時代になる前の合戦の花形の武器は「弓」であり、「海道一の弓取り」と呼ばれた今川義元が有名である。
戦国時代になると花形の武器は「槍」となり、戦で武功を挙げた者たちを称讃した「七本槍」や一番先に武功を挙げた「一番槍」等、槍使いの名手たちに使われた異名が以下である。
剣豪
「剣豪」という異名は各流派で免許皆伝となり、かつそれに恥じない位強かった武将につけられた異名である。
自らの流派を作り上げ、数多くの剣豪を育てた者にも異名がついた。
無双
「天下無双」など、まさに敵なしと呼ばれるほどの強者につけられたのが「無双」である。
神
「神」のように戦に強かった武将たちについた異名である。
「軍神」・上杉謙信、「鬼神」・尼子経久、「武神」・立花宗茂、「雷神」・立花道雪、「風神」・高橋紹運、「謀神」・毛利元就。
謀略家
知略のうち「謀略」と呼ばれる一見卑怯にも思える策を用いた武将たちに用いられ、下剋上を行った知略・謀略に優れた武将につけられた。
また、中でも毒殺など残忍で強く荒々しい者は「梟雄(きょうゆう)」と呼ばれた。
グループ
戦国大名を命がけで守り、武勇や知略で鳴らした複数のグループにつけられた。
「西美濃三人衆」は稲葉一鉄・氏家卜全・安藤守就の3人。
「徳川四天王」は酒井忠次・榊原康政・本多忠勝・井伊直政の4人。
「伊達の三傑」は片倉小十郎・伊達成実・鬼岩綱元の3人。
「武田4名臣」は馬場信房・内藤昌豊・山県昌景・高坂昌信の4人。
「海赤雨の三将」は海北綱親・赤尾清綱・雨森弥兵衛の4人。
黒衣の宰相
戦国武将(権力者)の側近として辣腕を振るった僧・僧籍の人物は「黒衣の宰相(こくいのさいしょう)」と呼ばれ、複数の者がいた。
今川義元に仕えた「太原雪斎(たいげんせっさい)」、毛利家に仕えた中国の太守「安国寺恵瓊(あんこくじえけい)」、家康の側近でライバルとも言われた二人「金地院崇伝(こんちいんすうでん)」と「南光坊天海(なんこうぼうてんかい)」、北条家三代に仕えた「板部岡江雪斎(いたべおかこうせつさい)」など。
その他の異名
「第六天魔王」「うつけ者」・織田信長、「傾奇者」・前田慶次、「かかれ柴田」・柴田勝家、「毘沙門天の化身」・上杉謙信、「地黄八幡」・北条綱成、「人斬り兵部」・井伊直政、「家康に過ぎたる者・花実兼備の勇士」・本多忠勝、「三河武士の鑑」・鳥居元忠、「天下のご意見番」・大久保忠教、「今孔明」・竹中半兵衛、「今張良」・黒田官兵衛、「金柑頭・はげ頭」・明智光秀、「麒麟児・風流の利発人」・蒲生氏郷、「悪右衛門」・赤井直正、「戦国の奸雄」・松永久秀、「武田の副将」・内藤昌豊、「表裏比興の者」・真田昌幸、「天下の飾り物」・真田信之、「日本一の兵」・真田信繁(真田幸村)、「越後の鐘軌」・斎藤朝信、「半将軍」・細川政元、「大坂の左右の大将」・下間頼廉、「三成に過ぎたる者」・島左近(島清興)、「八咫烏(やたがらす)」・雑賀孫一、「十一州の太守」・尼子経久、「姫若子・土佐の出来人」・長曾我部元親、「落雷の化身」・立花道雪、「豪勇鎮西一」・立花宗茂、「大将の鑑」・島津義久、「笹の才蔵」・可児才蔵、「表裏者」・佐々成政、「名人久太郎」・堀秀政、「貧乏公方」・足利義昭、「闇の仕置人」・屋代景頼、「逃げ弾正」・高坂昌信、「日本の副王」・三好長慶、「木綿藤吉」・豊臣秀吉、「龍造寺の仁王門」・鍋島直茂など。
おわりに
「あだ名」や「通称」は現代社会でも人から自然発生的につけられる。学校のクラスにもあだ名を付ける名人みたいな人物がいるものである。
古今東西、人には「あだ名」や「通称」をつけたがる心理があるようで、中には外見をいじる織田信長のような人物もいるが、それ以外は戦での勇猛果敢な姿や策士などに「異名」や「あだ名」をつけたと考えられる。
特に剛の者と言われた、立花宗茂、本多忠勝、柴田勝家などは複数の異名をつけられており、「畏怖」「親しみ」「嫌悪」など人の感情を極端に揺さぶる人物ほど、あだ名をつけられやすいようである。
戦国時代の異名は信玄の甲斐の虎と謙信の越後の龍、と言った強い武将だけかと思っていたが、こんなにもたくさんあったのですね!勉強になりました。
このさいとのおかげであたまがよくなりました